白い、病室のドアがそっと開けられる。他の患者の迷惑にならないように。もしくは、本当は物音さえ立てられないほど 動くのが辛いのかもしれない。
頭、胸、腕…全身に包帯を纏うこの男もまたここの入院患者。「絶対安静」を押し切って外出したが、用事が済んだのでおとなしく帰ってきたのだ。
ここは暗黒武術会で傷を負った者のための病院。
裏御伽チームの大将、「怨爺」改め「美しい魔闘家鈴木」…もとい、仮面を外した今はただの「鈴木」。
鈴木はゆっくり自分のベッドに入った。ギッと小さく軋む音がした。

「何故だ」
と、寝ていたと思っていた隣の患者が声を発した。
「死々若丸?起きてたのか。」
首などに包帯を巻いた姿で同じくここに入院しているのはチームの副将・死々若丸。彼は動けないのか動きたくないのか、こちらを向かないまま言葉を続けた。
「何故あいつらにアイテムを与えた、と訊いている。」
それは明らかに怒っているような、不満に満ちた声だった。

準決勝終了後、傷の手当てを済ませた鈴木は重傷の体に無理をいって浦飯チームの蔵馬・桑原に闇アイテムを与えた。それらはきっと彼らにとって決勝戦で有効なアイテムだと思ったから。
それに気付いた死々若丸は鈴木に不信感を抱いていた。
「敵…よりによって俺たちを負かした相手を何故手助けしてやる必要がある?!」
語気を強める。
精一杯戦って、おなごかと見まごうその細い体いっぱいに傷を負った彼。恐らく痛みと悔しさで裂かれそうなのだろう。静かな病室に響く声は、やり場のない想いの叫びにも聞こえた。
鈴木は、そんな死々若丸に触れたい衝動に駆られた。そっと頭を撫でて諫めてやりたい。だが彼も一時は重体だった身。下手に動かしてはいけないと自分に言い聞かせて我慢した。
代わりに声に最大限の気持ちを込めて
「死々若丸…俺たちは負けたんだ。」
返事はされず、ただ布団をぎゅっと掴むのが見えた。

***

悔しい

準決勝、裏御伽チームVS浦飯チーム。浦飯チームが浦飯と覆面選手を欠いた三人で臨み、試合は裏御伽チームが断然有利と思われた。
魔金太郎、黒桃太郎と飛影ひとりに連敗したが、死々若丸は自分に自信があったので焦らなかった。
しかし第三戦で予想外のことが起こった。裏浦島の闇アイテムにより、相手チームの蔵馬の本性…妖狐を呼び覚ましてしまったのだ。
圧倒的な力の差に怯え平伏し裏切ろうとする裏浦島。この豚はこれ以上使えないと思い、切り捨てた。
それでも余裕は崩さずに
いざ始まった死々若丸の戦い。
実際好調だった。騒がしい失敗ヅラの男も予告どおり一瞬で決めてやったし、このまま負ける気はしなかった。
第五戦、覆面選手の登場。あまりにも弱弱しく、相手にしていられないと思った。
しかしそれが幻海だと知る。
霊光波動拳の幻海は、妖怪の間でさえ広く名の知れた霊能力者だった。それがいま自分の目の前に、しかもこんな状態でいる。
確実に殺れる。
名をあげるために参加した暗黒武術会だが、こんなに大きな踏み台が転がっていようとは幸運だ。
ステップアップのチャンスだと思った。…それで少し調子に乗っていたのだろうか。勝てる、負けるはずがない、負けられない…。思いのほかしぶとく立ち向かってくる彼女への苛立ちが心を乱していった。
それでも絶対に諦めない
勝つためにここにいる。たとえどうなっても諦めるものか!

幻海というのは変な奴だった。人間は皆、我らを追いやるもの。正義をかざす偽善者。憎むべき相手…それが少し違う。気丈で、強くて、我をしっかりと持っている。…あんな女には初めて出会った。

死力を尽くして戦いに臨む。しかし、結局は自分の技を返されて倒れる形になってしまった。
まただ
まだ自分は魔哭鳴斬剣を使いこなせていない。
悔しい。敗北したことも、力の使い方、精神もまだ未熟な自分が悔しくてたまらなかった。

そんな死々若丸とは反対に、鈴木は清清しい気持ちでいた。それはもう圧倒的な敗北だったし、あれで一応自分なりに最大限の努力をして臨んだものだ。
力だけが全てじゃない、戸愚呂を 倒す
自分の野望は破れてしまったが、それを浦飯たちが、希望をつないでくれたから。

ベッドに体を沈めた彼は、そっと目を閉じて眠りに入った。

***

ついにやってきた決勝戦・戸愚呂チームVS浦飯チームの日。
一緒に行こうと誘われたが、死々若丸はそれを断固拒否した。傷も癒えきらない、敗北の悔しさからも脱せない状態でどうして他人の試合など観ていられようか。
仕方なく鈴木は一人で会場に向かった。

周りの動ける妖怪はみな観戦に行ってしまった。静かな病室、白さが目に痛い。
ワァァ
遠くから聞こえる歓声。それは自分が浴びたかったもの。死々若丸は耳をふさいで布団にもぐった。
ドォンと大きな破壊音が聞こえる。きっと激しい戦いが繰り広げられているのだろう。そう思うと苛々して…いやだ、もう、眠りたい、と強く願うも、それは叶わないままだった。

やがて窓の外では慌ただしく妖怪が会場に向かって走り出す姿が見られた。
「いよいよ戸愚呂(弟)と浦飯の試合が始まるぞ!」
「これで勝ったほうが優勝なんだな!」
…!
その情報に反応してバッと体を起こした死々若丸。
その足は、ついに会場へと向けられた。

***

会場には物凄い人だかり…もとい妖怪だかり…ができていた。周囲の奴等は一人残らず闘技場に注目し、すぐそばに若様がいることに気付きやしない。

やはり、見ているのは辛かった。
自分は他人を観戦しにこの島に来たのではないのだから。…負けるとはこういうことだ。

戸愚呂の力はほんとうに凄まじかった。
次々と観客を消滅させる邪悪な気配は、自分が扱う死霊の比ではない。あの決勝の場に自分がいられないのが悔しくてたまらない、だがこんな奴を前に自分はまともに戦えただろうか?…しかし、あの場に立っている浦飯は今確かにまっすぐ立ち向かっている。

何 故

戦いに対する情熱が暴走する戸愚呂に自分たちの命も危うくなり、次第に観客の妖怪たちも浦飯を応援し始めた。その中に、三回戦で浦飯チームと戦った魔性使いチームの姿が遠くに見えた。

彼らは何故こうも眩しい
戦った相手を残らずとりこにしてしまうような、どうしてそんな力がある

光を浴びる彼らへの、嫉妬
羨望?
それに比べ惨めな自分への羞恥。
それ以上に、問答無用に魅せられる彼らの戦い…
様々な感情が湧き出て混ざり合い脳を揺らす。混乱が隠せない死々若丸をよそに、ついに死闘は終了した。
浦飯が勝利し会場全体を安堵が包む。それに溶け込んでいることに気付き、更に自分が嫌になる。

しかし安堵はつかの間、戸愚呂チームのオーナー・左京によって再び会場は阿鼻叫喚へといざなわれた。
「会場を爆破する」
その言葉に、生き残った観客たちは出口を求めわき目もふらず駆け出した。よくまぁこんなに残っていたもんだと言いたくなるほどの群集がぎゅうぎゅうと押し寄せる。
しかし、一人、その場を動かない死々若丸。
混乱の最中にある彼の目にはこの景色さえも白くぼやけて見えていた。

いっそ このまま 終わりにしたらどうだろう

こんな気持ちのまま無様に生き残ってこれから前向きに生きられるはずが無い。自分の戦いは終わった。叶わなかった、ただそれだけのこと
俺の夢も会場と共に消し飛んでしまおうか…

と、後ろから誰かの肩がドンと強くぶつかり、よろける。
体勢を立て直すと、そこかしこから溢れる悲痛な声が耳をつんざき、ハッとした。思わず眉をひそめる。気付けば霞がかっていた視界が晴れ、この悲惨な光景がはじめてハッキリと脳に映った。
やっと目が覚めた
(…何をやってるんだ、俺は)

試合だって最後まで諦めようとはしなかった、それは自分の信念を通すため
『もっと強くなって乗り越えればいい』
いつか誰かに言われたような言葉が脳内で再生する。
そうだ…
このまま 弱いまま 惨めなまま 終わってたまるものか!
簡単にあきらめてはいけない、どんなに格好悪くたってあいつは何度でも這いあがった。
強くなろう。あきらめない。目先の勝敗や単純な生き死にではなくて、もっと根源に息づく強い意志を持とう!

と、群衆に逆らってくる一人の妖怪が見えた
「わ…か…!死々若丸ッ!」
幻かと思った。金色の髪、自分と同じくらいの背、未だ残る治療の痕、それは…鈴木だった。
「よかった…やっぱりそうだった」
ただでさえ傷だらけの体で、この人波にもまれてさらにヨレヨレになりながら
「お前まさかこの中をわざわざ…」
俺を探しに?というのはさすがに自意識過剰だろうか。
「早くしないと。さ、とにかく会場から離れよう!」
言われるがままに、群衆の波に乗り とにかく外へ、駆け出した。