100万円のチョコレートより一粒の君の愛 * Wakazono Novel

魔が差したとしか言いようが無かった。

バレンタインに
チョコレートを
作ってしまったのだ。

2月14日にチョコレートを贈るという独特かつ奇妙な風習のせいで、世はいわゆる「バレンタイン商戦」まっしぐら。右を見ても左を見てもチョコレート…
だからって、なんとなく。なんとなくなんとなく
自分も作ってみようかななんて、つい
思ってしまったのである。

しかし、出来あがってしまったこれをどう処理しよう。
…なんて、答えなどひとつしかないのだが。

＊

闇の貴公子とも呼ばれた死々若丸の人気はいまだ衰えることを知らず、今年もこの日には大量の贈り物が邸宅を襲撃していた。「若様」にとっては毎度お馴染みの光景で、いちいち感動しないが無下にもしない。絶え間なく届くスウィーツの山を、せっかくだからと少しずつ少しずつ消化した。
これだけ集まると内容は実に様々。有名な店の高級チョコレート。これはＴＶでやってた、何千円もするチョコ。こちらは手作りだろう。生チョコトリュフ、クッキーにシフォンケーキ…刺繍入りのハンカチや、髪留めなんかも同封されてたりした。

（女とは恐ろしいものだ…）

それを引き起こしているのは自分だということはさておき。
好意を寄せる人に想いを伝えるために、贈り物にこれだけの工夫を凝らすその情念。いかに妖力で優っていても、絶対に勝てないと思った。

またひとつ包みを開けながら、自分が作ってしまったものを思い返す。
湯煎にかけて型に流し込んだだけの、何の変哲もないチョコレート。透明な小さい袋があったのでそれに入れて、リボンの代わりにその辺にあった端切れで留めてみた。
目の前の山はキラキラ輝くオーロラ色の包装紙が眩しい。これら「本物のバレンタインのチョコレート」と比べるとなんて貧相なのだろう！ますます自分の痛々しい行動が悔やまれた。
どうしよう。捨てるのも勿体ないが、自分で食べる気はしない。…だからって、こんなものあげられる訳がない。
脳のエネルギーとなるのはブドウ糖。しかし、どれだけ糖分を摂って脳を働かせても「これ」をどうにかする最適な手段は思い浮かばなかった。

＊

やがて、姿を消していた鈴木が現れた。
死々若丸のバレンタインマウンテンを見て「お、今年もすごいなぁ」なんて他人事。
「俺も作ったんだ、死々若、ハッピーバレンタイン☆」
いったい何がどうハッピーなのかはわからないが。そう言う彼の手には手作りのチョコレートケーキ。
「今ってどこもバレンタインフェアで、材料とかたくさん売ってるじゃん？なんか俺も作りたくなっちゃって。というわけで、食べて。」

ズキン
彼の屈託のない笑みが、いつもなら本当は和むのに何故か心を痛くした。
その鈴木手作りのケーキは、ファンから贈られたどの手作りチョコよりも美味しそうで、高級ブランド品に負けず劣らず綺麗で…
ズキズキ
敗北感ではない。もとから土俵にも出られる立場では無かった。愚かだった。自分なんかがチョコレートを作ってはいけなかったんだ。
気丈なふりをしてさも貰うのが当然という顔をして、フォークを手にした。
あまりにも美しく美味しいそのケーキは、こんなに甘いのに、なぜか苦かった。

＊

食後。
死々若丸は食器が下げられたちゃぶ台にゴロンと頭を乗せた。
こっそり部屋から持ってきてしまった自分のチョコレートを見つめる。
（今まで貰ったどのチョコレートよりも、だんとつで貧弱だ…。）
こんなものは贈るに値しない。
やはり捨ててしまおう、と顔を上げた時、食器洗いを終えた鈴木が戻ってきた。
「大丈夫？こんなにチョコ貰って、あんまり一気に食うなよ。血糖値上がって倒れるぞ。」
気怠そうな様子を見て、チョコレートの食べ過ぎと思ったらしい。

「ん？それも貰ったやつ？」
「あ、いや、それは…」
隠し損ねた、山から外れてちゃぶ台にぽつんとあるそれを、鈴木は何も知らずに手に取った。
「なんか、死々若宛のチョコにしては質素でシンプルだね。」
ズキン
（ああ、そうだよ。）
「…どうせ、菓子作りなんてろくにやったこともないような奴が、時流に乗って浮かれて作ったんだ。」
怒る気も起こらなかった。ただ自分が情けなくて、目を伏せながら言った。
「そういうこと言うんじゃありません。きっと死々若の為に、一生懸命やってくれたんだよ。」
ズキン？
「ってか別に変じゃないじゃん。派手じゃないってだけで綺麗に作れてるし」
そう言いながらそのたどたどしい贈り物をまじまじと眺める。死々若丸は思わずその様を凝視した。
「美味しそーだよ？」
かっと顔が熱くなるのを感じた。

「…じゃあ貴様が食え」
そっと目を逸らしながら、なるべく何気なく。内心は一筋の汗をかきながら。
「いや、だめだよちゃんと贈られた人が食べないと。」
「俺は要らないそのチョコはお前にやる」
ズキズキがドキドキに代わっていく。
「何で？想いがこもってるんだよ、作った人のためにも」
「そう思うならお前が食べろ！」
もうヤケだった。
思わず怒鳴った、自分が発した声に震えた鼓膜から脳が身体が全部熱い。

「え……まさか、これ、死々若が？」
鈴木の目が点になる。
「食わんなら捨てる」
細々と返される言葉は決して否定ではなくて。
事実に気付いた鈴木は周りにお花が咲いて「ぱああ」と効果音が聞こえそうなほど歓喜の表情に移った。
「うわー！マジで？すげー！」
手の中の贈り物を改めて眺める。
「凄くない！そんな溶かして固めただけのチョコレートなんぞ浦飯のところの霊界獣でも作れる。馬鹿にしてるのか！」
死々若丸はなぜだか泣きたいような気持ちになった。どうせ自分にはこんなものしか作れない。全然凄くない。褒められたくなんかない。
お構いなしに鈴木は早速開封すると一粒取り出して口にした。
「美味しいよ」
優しく笑う。
「当たり前だろう、何の手も加えてないのだから不味くする方が難しい。…普通のチョコレートだ」
全く凄くもないし美味くもない。だというのに、いつもそうだ、甘すぎる。嬉しくなんかない。

「そうだな」
鈴木はケロリと肯定した。
「なっ…」
しかし彼は喜々と二つ目を口に運ぶと
「でもただのチョコじゃないよ」
満足そうに舌の上で転がした。
そしてそっと腕をのばし唖然とする死々若丸を包み込むと
「死々若が俺のためにチョコを刻んで溶かして固めてくれた、それで普通のチョコが何万倍も美味しいチョコになるんだよ。」
頭をナデナデしながら言った。
最大級の鼓動が死々若丸を襲う。

「俺にとってはどんな高級ブランドより美味しいチョコレート。」
囁く声がチョコレートの香りで甘い。
息苦しい程の甘さが目に染みて涙腺を刺激した。零すわけにはいかないと、息を止めて堪えた。

「ありがとう」

そう言いたいのはこっちの方だ、なんて言えないけど。
年に一度くらいならこんな甘い日も悪くないなどと思ったのは、やはりチョコの食べすぎでどうかしているのだろうか。