「自分の偽物があらわれたら?」
という話題の続き。
自分のコピー というと、思い出されるのは「ミュウツーの逆襲」ですね。
あの映画で印象的なのは、自分のクローンがあらわれて、皆が自分と戦っている場面で。
「同じのがいたらどっちかをやっつけるまで戦わずにはいられない」みたいな誰かの台詞。
そして、その通り皆が自分と戦っている中でニャースだけが「痛いだろうニャー、嫌だニャー」といって自分と戦わなかったこと。
確かに、自分の偽物がいたら 嫌でやっつけたいと思うよなあ。自分が本物だ!あいつが偽物だ!って戦っちゃうよなあ。
自分以外の自分も傷つくの嫌だなあって思えるニャース すごいよ。(自分じゃなくても傷つけちゃいけませんってのはさておき)
「見た目だけコピーしたような奴だったら、ちょっと会話すれば本物か偽物か見極められる」と申し上げましたが
じゃあ見た目も記憶も 癖とかも全部完全に同一のコピーだったら?
親しい人が話をしてみたところで、どちらも確かにアイツしか知らない。アイツしかしないような反応だった。…その場合どちらが本物といえるのか?
それはもう…
どっちも本物なんじゃないかな…?
まったく違いがないのならば。
元のアイツがそのまんま 増えた
ということでよいのではないだろうか。
内容が同一でも、
「どっちがコピー元で、どっちがコピーされてできたものか?」
という問題はある。
やっぱりコピー元になったほうが「本物(オリジナル)」といえるよね。
例えばPCのファイルみたいにプロパティがあるのならば
「ファイルサイズ」「更新日時」「作成日時」を確認すればいい。
ファイルサイズや更新日時が異なれば内容が一致していないといえるし
作成日時が古い方が本物(オリジナル)だ!
あるいは、コピーされてできた方はファイル名に「〜のコピー」とか「(1)」とか 何かしら付与されるよね。
同じ名前では存在できないのだ。
「全く同一」はできない。
やっぱり、自分は二人いらないのだ。いてはいけないのだ。
※ドラえもん映画の感想だったはずの話題