「主体的である」
とはなんだろうか。自分はそうあれているだろうか。
なんか単純に
自分から積極的にガンガン物事を進めること
という、「動」なことばかりがそれではないと思うのよね。
受け身にならないこと、
人のせいにしないこと
自分の行動に自分で責任を持つことというか
やれって言われたからやった、やらされてる、っていうんじゃなくて
やることを選んだのは自分だっていう「覚悟」を持つこと
だと思うのよね!
いくつかの選択肢をつきつけられたとして
選んだのは 望んだのは 自分。
選択肢が無いような状況だとしても
そういう状況を選んだ、進んだ、のは、自分。
もし直近の状況が自分の意にそぐわないようなことしかできないようだとして「意にそぐわないことをすることを選び責任を持て(自分の気持ちを殺せ)」っていうんじゃなくて、
「いずれこの環境を変えるための通過点として"今はこの状況を受け入れる"ことを自認する」という〜姿勢を〜云々〜
とにかく、言われたからやったという中身空っぽの状態じゃなくて
なんにでも己の意思を伴えという
感じの
ことだと
解釈
…?
いわゆる自己責任ってやつになるんだろうけど
「自分で選んだんだろ?文句言うな!」っていうことじゃなくてー!!
そういうネガティブな使い方しかできないからいけないのよ、ンモー!
人から云々じゃなくて自分で云々って気持ちでやった方がなにかと前向きになれるじゃないか!
自分の意思が全く無いなんて自分の人生を生きてるといえないじゃないか!
そういった観点では、箸の持ち方ひとつ目玉焼きにかける調味料ひとつとっても自分の信念をもって臨むサムライがそれにあたるだろうか。
(なんでもいい、その日の気分だ、っていうのも一つの己の信念だよ)
(そこから、自分と違う人を受け入れる懐の広さに発展していくわけだがそれはまたの機会として)
そうか。
なるほど。
醤油派です!!!?